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東京高等裁判所 昭和26年(ネ)1937号 判決 1952年9月19日

東京都台東区上野広小路二十五番地

控訴人

小林らく

右訴訟代理人弁護士

樫村広史

荒鷲文吉

東京都台東区北稲荷町六十二番地

被控訴人

下谷税務署長

永井岩

右指定代理人法務事務官

関根達夫

市原利之

杉本良吉

大蔵事務官 国吉良雄

右当事者間の所得税不当課税更正決定取消変更控訴事件について、当裁判所は、次のように判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控認代理人は、原判決を取消す。訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求めると申し立て、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述は、控訴代理人において、次にかかげるように述べて、請求原因事実を訂正補充した外、原判決の事実記載と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人が当初下谷税務署長に対してなした昭和二十四年分所得額確定申告額は金五拾万円であつた。

二  取下が真意に出たかどうかを認定するには、本件のように数額を内容とするものにあつては、真実な所得額がどれだけであつたかを客観的に把握することが最も大切であるが、控訴人提出の帳簿(甲第一、二、三号証)から算出すれば、昭和二十四年分の売上総額は喫茶部、飴部を通じて(前者は、遊興飲食税を含む。)合計金六百三十四万三千九百九十円仕入代金総額は同じく金五百四十一万七千九百四十五円となり、これから所要経費を差し引けば、同年分の控訴人の真実の所得額は、金四十四万八千九百五十一円となる。またその前年昭和二十三年分所得額は、最初の更正決定額八十万円が後金五十五万円に訂正され次年昭和二十五年分は金五十五万円と確定し、しかも、昭和二十四年は右両年分と異なり営業も極めて不振で喫茶部は八月限り廃業している。かかる事情のもとにおいて、金七十四万二千円の更正決定額をそのまま承認するようなことは到底あり得ない。控訴人が提出せしめられた取下書は、真意に出でたものではなく、そのことは相手方において知り、また知り得べきものであつたから、右取下は無効である。

三  控訴人は当時四十八歳で、八年前に夫を失い、二十一歳以下九歳までの五児を抱き、営業をなし、疲労のため耳も遠くなつており、且つ依頼していた税務代理士福川義憲に不信の所為があるとも知らず、右代理士は国税局係官の批難と取下書提出の強要に対し、何等の助言もしなかつたので、控訴人は単にその場限りの処置として前記取下書を提出したまでであつて、若し国税局係官から「七十四万二千円の更正決定額承認の上取下げる。」との趣旨の書式を示されたならば、控訴人は決してかかる取下書を提出しなかつた筈である。係官としては当然却下決定をなし、異義申立の機会を与えるべきであつたのに、却つて前述のような錯誤を生じ易い書式を示し、且つ国税局用紙を与えて取下書の提出を求め、控訴人をのつぴきならぬ立場においたことは、係官の重大な過失であり、法律の錯誤も情況により、要素の錯誤となり、法律行為を無効ならしめるものである。

四  国税局係官照沼事務官は、控訴人方の書類の全部を取り調べずその一部を抜いて、一寸の不備を批難攻撃し、取調を粗末にし予断を抱いて押し通し、前述の取下書の提出を要求したものであつて、その態度により、控訴人の如き受身の立場に立つ婦人は、十分強迫された精神状態に陥つたものである。

立証として、控訴代理人は、甲第一ないし第十三号証(うち第三号証は更に一、二、三、第七号証は一ないし二十七、第八号証は一ないし六に分かれる。)を提出し、原審証人小林一郎、古川保、当審証人樫村広史の各証言並びに原審及び当審における控訴人本人訊問の結果を援用し、乙第一号証の成立を認めると述べ、被控訴代理人は、乙第一号証を提出し、原審及び当審証人照沼利雄、福川義憲の各証言を援用し、甲第五、六号証、第十号証、第十三号証の各成立は知らない。その余の甲号各証の成立を認めると述べた。

理由

控訴人主張の昭和二十四年分所得金額の確定申告、更正決定通知及びこれに対する審査請求の事実は、当初の確定申告の額については被控訴人は明らかに争わず、その他の点については当事者間に争がない。

しかして、その成立に争のない乙第一号証によれば、控訴人は昭和二十五年四月十五日付を以て東京国税局長にあてゝ審査請求取下書を提出していることが明かである。控訴人は、右取下書は無効であつて、取下の効力を生じていない旨極力主張するが当裁判所は、左の事項を附け加える外原判決に記載したと、同一の理由で、右取下書による控訴人の審査請求の取下は有効であると判断するからここに右の理由を引用する。

一  控訴人は、取下が真意に出たかどうかを認定するには真実の所得額を客観的に把握する必要があると主張し、その提出にかかる帳簿類(その成立に争のない甲第一、二、三号証)によれば控訴人の昭和二十四年分の売上、仕入額合計がそれぞれ控訴人主張のようになつていることを認めることができるが、原審及び当審証人照沼利雄、福川義憲の各証言を綜合すれば、右帳簿自体正式なものでなく、記帳漏その他不備の個所が認められたので、審査請求に基き控訴人宅に調査に赴いた国税局係官照沼利雄は控訴人の売上帳、仕入帳その他の関係書類及び売上や資産の増減、在庫の関係等を勘案した上、税務署長がした決定が正当であると判断したものであり、右調査に当つて控訴人の依頼により、これに立会つた税務代理士福川義憲も、税務署長の査定は己むを得ないものと了承し照沼係官とともに控訴人に説明し、前記の取下書が作成されたことを認めることができ、これに反する当審における証人樫村広史及び控訴人の各供述は採用しがたいから、右各帳簿の記載はもちろん、前年分及び次年分の控訴人の決定所得額(右両年度の額については、被控訴代理人も明らかに争わない。)をひいて、直ちに控訴人の取下が直意に出なかつたとする控訴人の主張は、これを採用することができない。

二  控訴人は、前記取下書の意義を解せず、その場限りの処置として、これを提出したものであるから法律行為の要素に錯誤があり、また右は国税局係官照沼利雄の強迫によつてなしたものであると主張するが、前記乙第一号証と証人照沼利雄及び福川義憲の原審及び当審の各証言を綜合すれば、前記照沼係官は、前述のように調査の結果、税務署長の決定が正しいということになつたので、同人は控訴人に対し所得の内容を説明して取り下げて貰うことになり、その納得を得た上、前記取下書の作成を見たこと。右はひとり国税局係官と控訴人との二人の間のみにおいてなされたことではなく、右調査には前述のように控訴人の依頼による税務代理士福川義憲も立ち合い、同人もその結果を了承し、照沼係官と共に控訴人に対し説明し、且つその場にはなお控訴入の長男も居合せたこと。取下書は、控訴人において照沼係官から何事も記載してない国税局の用紙を貰い受け、これに照沼係官から教えられた「審査請求取下書 昭和二十五年三月三日下谷税務署長より昭和二十四年度の所得税の仮更正及び本更正決定に対し私の提出した審査請求書は取下げ致します。」の全文及び年月日住所氏名宛名を自ら記載したものであることが認められる。

以上の認定の各事実によれば、控訴人は、税務署長のなした更正決定に対する不服の申立を遂行することのできないことを認め、さきに提出した審査請求を撤回する意思を以つて右取下書を作成し提出したものと認めるのが至当であつて、また右事情のもとでなされた取下書の作成が国税局係官の強迫によるものとは認められない。この点について控訴人の原審及び当審における右書面は取下書であることを知らなかつた。税の金額を少くしてくれるものと思つてこれを差し入れた旨の供述は当裁判所の到底信用することのできないところである。右取下書の作成に要素の錯誤があり、また、強迫によるものであるとの控訴人の主張も採用できない。

して見れば昭和二十四年分所得金額及び所得税額に関する更正決定に対し控訴人がなした審査請求は、昭和二十五年四月十五日有効に取り下げられたものというべきであるから、その後になされた本件訴の提起は、その前提要件を欠き、不適法のものとして却下を免れない。

以上の理由により、原判決は正当であつて本件控訴はその理由がないからこれを棄却し控訴費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判長判事 小堀保 判事 原増司 判事 三宅多大)

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